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あの時があったから

≪人を想う≫

会社の中で、事務処理をしながら日々の時間が流れている時に、ふと過去の日の思い出がよみがえってくることがあります。
あの時があったから、今の自分が在ります。
 
あの時があったから

この仕事を始めた頃、別に急ぐ仕事もなく何をすればよいか、自分でいろいろと考えて、「今日は何をしようかな」と自問自答していました。
大切な時間でした。

誰にも指示されることはありません。
すべての時間を自分の思うとおりに使うことができます。
これって意外と辛いものです。

将来の会社の理想の姿をイメージして、そのための経営管理の形を文章にしたり、ホームページを作成したり、経理処理のしかたを誰でもわかるように整備したり、直接的な収入には関係ないのですが、準備さえしておれば、きっと役に立つはずだと考えて、一人でパソコンに向かっていました。

単なる暇な時間つぶしだったのかもしれませんが、モチベーションを保つのに必要なテーマでした。
夢がないと一人の日々は過ごせなかったのです。
それでも何とか仕事を続けて来れたのは、人生を共に過ごす仲間の存在。同じ方向に向かおうという仲間と助け合って仕事してきたからなのでしょうね。

人の助けによって何とか経営も安定し、10年仕事を続けてくることができました。
初心忘れることなく、努力を続けなければこの生活を維持していくことはできません。
この状態に甘えていると、また先が見えなくなってしまいます。
もう、若いころのように自我か肥大することもないでしょう。

思いついたことから少しずつ準備をしていかないと、間に合わなくなる。
こうして時間がある時も、自分で考えて仕事を作らなければならない。

ふと、そんなことを考えました。

ゆっくりする時間も大切です。
目先の仕事に時間を囚われ、大切なことを考える時間を忘れてしまうこともあります。

そんな時は思い切って、部屋に閉じこもり、じっと心の声に耳をすまします。
「今なすべきことは何か」

すると、ちょっとしたアイデアが思い浮かびます。

阿蘇に行きました

 ≪人を想う≫

「ペトログラフのレイライン」が日本に存在するという興味深い話。
「レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。」wikiペティアより
現在いろいろと調べていまして、まとめてブログに書いてみましょうかね。
 
阿蘇に行きました

先週末、阿蘇に行きました。
九州の中心にある阿蘇山、最近噴火がひどくなっていますが、その北部に小国町があります。温泉の宝庫で、いたるところから温泉が湧きだしています。
最も有名なのが黒川温泉。

その温泉を線で結ぶと、だいたい一直線に並んでいるのが分かります。
レイラインと言う言葉から、こんなことを想像してしまいました。
火山の脈みたいなもので、考えると当たり前のことですね。

一般的にはあまり知られていない温泉、「はげの湯」に行きました。
標高760mの涌蓋山(わいたさん)西麓に、10年ほど前に開かれた新しい温泉で、いわゆる温泉郷という感じではなくて、岩山から熱湯があふれ出している感じで、若々しく荒々しいお湯でした。

温泉の蒸気のために草木が育たない”はげ地”だそうです。
民家もなく、人が住んだこともない荒れ地を開発したような場所で、汚されていてない「場の波動」を感じました。

旅館ごとに源泉が違い、湯質も違うらしいのですが、私が泊った旅館は、洗練されていない素朴な田舎家の雰囲気。
 温度が高いもので、ゆっくり入るという感じではなくて、しかし気持ちは良く何回も入りました。
今まであちこちの温泉に行ったことがありますが、そのお湯の持つエネルギーは、今まで経験したことがないくらい強烈な印象でした。
「湯の花」が浮いていて、顔を洗うとつるつる、久しぶりの温泉を堪能しました。

山が持つ清廉な波動は、日々の生活で忘れがちな何かを刺激してくれるもので、たまにはこのような時間を過ごすことは大切だと思います。

山の景色は、場所場所で雰囲気が変わり、汚れた感じのする場所や、嫌な雰囲気を感じさせる場所など、いろいろな景色があります。

阿蘇の雄大な景色は、何度見ても飽きることがなく、ずっと眺めていたい景色です。
心がすがすがしくなります。
阿蘇神社の門の前に立つと、背筋が伸びるような高貴で親しみを感じるような波動が流れてきます。

また行きたくなりました。

死ぬために生まれてきた

≪人を想う≫

突然ですが「今日のこの瞬間の喜びを感じるために、自分は生まれてきたのだ」という瞬間は、果たして訪れるのでしょうか。
 
死ぬために生まれてきた

人生の山場と言いますか、絶頂期と言いますか、世界の中心に自分が立っているという感動と言いますか・・・。
 私の人生を振り返ると、それらしきことは何回かあったような気もしますが、人生のほとんどは苦しいだけの時間を過ごしていて、まだその瞬間には出会わなかったと思います。

 そして、そんな瞬間なんて訪れることもなく、死んでいくのかもしれないとも考えています。

「このまま死んでもいい・・・」
「人生には、何らかの意味がある」と考える人は、そのような瞬間がありうるということを信じています。
 今までそんな瞬間に出会ったことがなくても、必ずそんな瞬間が訪れると信じているから、生きる力が湧いてきます。

「人生には何の意味もない」考える人は、自分の存在の意味を考えたこともないはずだし、何の目的も希望もないのですから、「ただ死ぬ勇気がない」と言うだけで、日々の生活を過ごしている。
 
 そしてその結論は、死ぬ瞬間まで分からないから、面倒です。
どちらも同じ人生なのですが、どちらが楽しいかと考えると、分かります。

人生を楽しみたいと考えると、「人生には、何らかの意味がある」と考えたほうが都合が良いですね。

物事は、自分が都合が良いほうを信じたほうが良いと思います。

神の存在も同じです。
いないと思うより、いると信じたほうが、すべてを理解することができます。
「なぜ、自分は存在しているのか」
「なぜ、宇宙があり、地球があり、人間が生まれたのか」

考えても結論は出ないのですが、信じることができれば心は安定します。

死ぬ瞬間に「いい人生だった」と言って死ぬことができれば、その喜びを味わうために生きてきたということになります。

・・・死ぬために生まれてきた?

キャリアを積み重ねる

 ≪人を想う≫

田舎の小さな零細企業、キャリアコンサルタントとして個人のキャリアも12年ぐらいになりますかね。少しづつでも成長しているのかどうか。
実際に研修してみて、まだまだ感動レベルまで行き着いていないということを反省しています。
 この分野の仕事と言うのも、奥が深いですね。
 
キャリアを積み重ねる

企業研修と言う分野だけで食べることができないというのは、まだまだ実力不足、勉強不足、経験不足と言うことです。
「継続は力なり」ですから、もっと努力を続けていかなければならないということだけです。

チャンスって、きちんと準備をしていた者にしか訪れません。
地方にいるというハンデがあるのかもしれませんが、その程度の実力だから・・・。

「もっと営業活動をすればよいのに」と人に言われたこともありますが、実力もないのに一時的にちやほやされても継続することはできないし、落ちぶれたときの惨めさということを若いころに学びました。

30代の頃の私は、住宅会社に籍を置きながら、不動産開発のプロジェクトにかかわり、スケールの大きな仕事をしていました。政治家とも知り合いになり、官僚とも付き合い、地方に行けば、そこの町長さんあたりから接待されたこともあり、自分を過大評価していました。

怪しげな人たちとも多く知り合いになりました。
 たまたま実力以上の立場を与えられ、ストレスによる円形脱毛症や腰痛と戦いながら必死に格闘していました。
 本当の自信がなく、常に不安感がありました。
 そして、気がつけばすべてを無くしてしまいました。
その時なぜか、解放されたような、ほっとした気持ちになりました。

 その後、45歳を過ぎて、たまたまの偶然の積み重ねで全く新しい分野の仕事に転職し、ゼロからキャリアを積み上げていきました。
 しかもそれ以前のキャリアも役に立っている。

何気なく経験して身につけた技術や資格が、現在の仕事にも役に立っているということは、これこそ、キャリア形成の理論の一つ、「計画された偶然理論」そのものです。
このブログに何度も登場します。

チャンスは必ず訪れます。
その時のために、日々勉強し続けることができるか、それを信じることができるか。

信用を積み重ねる

 ≪人を想う≫

「人を想う・・・」という題名を考えているのですが、さすがにもうないですな。
昨年末ごろから同じようなテーマで話をしているのですが、内容も似通って来ていて、そろそろ変えないといけません・・かね。

信用を積み重ねる

久しぶりの企業研修が終わりましたので、少しその事後報告を・・・。
前回はちょうど二年前、研修内容は前回と同じような内容でとの要望でした。
社員350名程度の精密機械製造工場で、東京に在る大手の企業の子会社です。
親会社には、研修担当部門の専門社員がいるのですが、その研修内容を子会社にも適用し、その研修を外部に委託するということで、御指名を受けました。

しかし、その内容はあまりにも学術的と言いますか、大学の先生が作ったような内容で現場のニーズとは刷毛は成れている個所もあり、その内容を元に我が社で独自に構成し直しました。
 経営コンサルタント的な部分にキュリアデザインという考え方を付け加えたものです。

この仕事を初めて10年バージョンアップしておりまして、研修内容は少しずつ変えているのですが、信用と言いますか、その部分は任せてもらっていますので、やりやすい研修でした。
この会社には、6年ほど前からお邪魔しています。

 何事も積み重ねが大切で、企業との信頼関係の構築が、私たちの様なコンサルタントには必要なのだということをつくづく感じます。
 その会社の社員食堂の食事がおいしくて、毎回楽しみにしています。
 外部の会社に委託しているということですが、そこのシェフに毎回、「おいしかったです」と挨拶しています。

 社員の方に話すと、毎日食べているのでそんなに感じないとのことですが、外部からくる私たちにとっては、その辺の食堂の味とは全く違います。
細やかな気配りも感じることができて、シンプルで飾り気はないのですが、おいしいと毎回感じます。

 守衛の方とも顔見知りになり、笑顔で迎えてくれます。
人事担当の事務をしている「お局様」も、直接の担当ではないのにわざわざ顔をだして挨拶してくれます。

 仕事を毎年頼まれるのも、このような人的つながりがあるからではないかなと思っています。
そして、だからこそ毎回気を抜けないです。
より良い研修をしないといけないなと思っていますので、内容を毎回見直しています。

終わった後で人事担当者が言っていたことなのですが、この研修を受けることが、課長級昇進の条件になっているとのことで、人事制度の中に私たちの研修が組み込まれているとのことでした。

 ただただ恐縮しました。

人を想う仕事

 ≪人を想う≫

「かけつぎ」という仕事を御存知ですか。
かけはぎとも言いますが、洋服の生地に穴や傷ができてしまった時に、修復する技術のことです。
 例によって、私の好きな番組、NHKの「プロフェッショナル」19日放送分からの話題です。

人を想う仕事

プロの技のすごさにも驚きましたが、その洋服を直してほしいと頼まれる方の想いを感じて仕事をされていることに対して、感動しました。
 
「1着1着の服と向き合うときに大切にしているのが、依頼されたとおりに直すのではなく、修理の中に自分の気持ちを込めることだ。客の顔は見えなくても、品物を通して、どこまで相手の思いをくみ取って修繕できるかが、職人の腕の見せどころだと言う。

昨年11月、松本の元に穴だらけのカーディガンが届いた。送り主は、7年前に脳梗塞を患い、右半身にまひが残った66歳の女性。40年前に亡き母から結婚祝いに贈られたカーディガンをもう一度着たいと依頼してきた。

女性に会ったこともない松本は、激しく破れている左袖を目にして、左手を多く使う特別な事情があると気づく。そして穴を塞ぐだけではなく、長く着てもらうためにすり減った部分の補強を施した。

『きめ細かい配慮がどこまでやれたかということやね。修理は修理なんですよ。ところがその修理の中に自分の気持ちがどれだけ入っているかが仕上がりに違ってくると思うよね』。
服を通して持ち主に寄り添い、思いまで紡いでいくのが、松本の仕事だ。」

この様に紹介されていまして、修理されたカーディガンを身につけたおばあちゃんが感動してある映像で、思わず涙がこぼれました。
どのような仕事でも、「自分がしている仕事に、どれだけ気持ちを入れるか」が大切ですね。

日々の仕事の中で、指示された通りに仕事をするのではなくて、与えられた仕事に自分の気持ちを込める。
相手の顔は見えなくても、その仕事の中に込められた思いをくみ取って、どれだけ誠実な仕事をすることができるか。
それが、プロとしての腕の見せ所です。

「これって、研修の導入に仕えるな」と気づきました。
ネタって、アンテナを立てているとあちこちに転がっているもので、ブログに書くだけではもったいないですからね。

なお、この原稿20日に書いていまして21日からの企業研修の「まくら」として実際に使わせてもらいました。

人を想う研修

≪人を想う≫

昨日と今日は、企業研修の本番、講師としてしっかり仕事をしています。
「人を想う研修」、詳しくは後日報告。

人を想う研修

今週末に、久しぶりに温泉に出かけることにしました。
奥様孝行と言いますか、だんだんと歳をとってきますと、男と言うのは哀れなもので、奥様の助けがなくては日々の暮らしもうまくいかなくなってくるものですから、時々はご機嫌取りをしないといけないようで・・・。
「あー、あれから40年・・・」

自分で意識したことはないのですが、私の性格、相当わがままで、「人に対する思いやりが足りない」と妻から言われます。
 確かにそうだったのかもしれない、と反省の日々です。

 先日OB会で先輩から言われた言葉が、相当尾を引いているようです。
意識していない言葉で、ずいぶん人の気持ちを傷つけてきたのかもしれない。
偉そうに振る舞っていたのかもしれない。

本題ですが、企業研修で話すとき注意していることが「上から目線」です。
上司と部下の立場の違いがある場合は、当たり前のことですが、指示とか指導とかは大切です。まず基本を覚えることですから、強制を伴いますし、それが正しい方法です。

しかし、外部の講師として研修をするということは、本人の意識づけ、「気づきをうながす」ことが大切になります。
継続的な指導をするわけではありませんし、イクパクトを与えるような研修をしたいと考えます。
 多くのコンサルタントが犯す間違いは、「自分の考え方は正しい」という前提に立って、「・・・すべき」という言い方が多い気がします。

 アメリカ型の講座、タイムマネジメントやロジカルシンキング、PDCAサイクルによる管理などの内容も、企業側からの要望もあり、今回の講座のカリキュラムに入っていますが、日本人の私にはどうしても違和感が残ります。
 厳しすぎると言いますか、「その場だけの論理であり、実際の日々の仕事に影響を与えることができるような内容ではないな」と思っているからです。
 もちろん、論理的にきちんと説明します。

「気づき」は、「内発的動機」によってしか起こりません。
そして、人の心は複雑で、非合理的なものです。
その人の心に直接訴えかけるような言葉でないと、難しいと思っていまして、それが「人を想う研修」だと思います。

「インナーマネジメント」と称して10年前からこのような研修に取り組んでいますが、無名でもあり実力もないもので、なかなか広まりませんね。
 私がする研修、なかなかのものだと自負しているのですが・・・。

人を想う人生

≪人を想う≫

人生って人それぞれで、人とかかわらずに好きなことをしていたいという人に「人を想う」ことの大切さを話しても、聞き入れてもらえません。

人を想う人生

自分にとって都合のいい人との付き合いだけをするという人も多いかもしれません。
私が小さいころ母親が言っていた私の嫌いな言葉です。
「いい友達を選びなさい。」
友達にいい悪いもないと思っていましたから、反発していました。
自分にとって都合のいい友達という意味で、母が使っていたからです。

しかし、友達と思っていた人から裏切られたり、尊敬していた先輩から利用されていただけだったり、人間不信になるような経験もずいぶんしました。
 仕事上の付き合いなど、いいまで多くの人たちと付き合ってきましたが、それが続いているということはほとんどありません。

仕事上のつきあいから、「いい友達」になった人がいないという事実には、愕然とします。
 実は、自分自身の都合で付き合って来て、利用することが無くなると、自分から離れていったのかもしれないと気づきました。
 母親と同じような考え方で、「人を想う」ことを忘れていました。
自然と、人間関係が希薄になり、気がつけば周りに誰もいない。

 あの頃の仕事上で付き合っていた人と、今は会いたいとも思わない。
 お世話になったはずなのに、お互い様と思ってしまう薄情さ。
 原因は、自分に在りました。

「いい友達」ってどんな友達かと考えますと、都合の良しあし、利用できるかどうかと言うような功利的な関係ではなく、そこに在るだけで温かさを感じることのできるような関係、お互いを認め合う関係ではないかなと思います。

 先日参加した大学のOB会の関係は、利害もなく肩書きもなく、ただ一人の人間としての関係、しかも何年経っても先輩後輩ですから、先輩には頭の上がらない関係です。
友達と言うほど、深い付き合いでもないのですが、皆、人を想うことのできる優しい人たちです。
 新年会に参加していない人の心配をしていました。

そして、この関係がなぜか心地よい。
人生を振り返り、あの頃もっと「人を想う」仕事をしていれば、当時の仕事も成功し、自分の周りにはもっと多くの人がいて、楽しくて豊かな人生を送っていたのかもしれないと反省しています。

 やっとこの年で気づきましたが、今からでも遅くないし、今後は「人を想う人生」を送っていきたいなと思っています。