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いい結婚式でした

≪人を想う≫

先週の姪っ子の結婚式は、いい式でした。
いい雰囲気と言いますか、いい空気が流れていて、とても温かさが感じられる式でした。
新郎新婦の人柄って、現れますね。
決意とか覚悟とかが表情に現れていて、感動しました。

いい結婚式でした

人生の節目って必ず訪れます。
親離れ、結婚、身内との死別、子供の誕生というプライベートなことから、就職、転職などの社会的身分の変化、定年退職。
その節目を迎えたときに、どれだけの人が自分の周りにいるか。
どうやらそれが人間としての価値ではないかなんて思いました。

結婚式で多くの人に祝福されるというだけでもありがたいものですが、人数が多ければよいというものでもなくて、その空気の暖かさも良さも問題ですね。

新郎37歳、新婦34歳のちょっと歳いったカップルで、若いころは相当ヤンチャな生活をしていたみたいですが、いろいろと苦労をしていい顔になりました。
友達も多く、みな笑顔になるのが結婚式のいいところです。
幸せをおすそ分けさせていただいています。

若いころ親を相当困らしていた姪っ子ですが、親に対する挨拶で『お父さん、大好きだよ・・・』という手紙を読んだ時に、父親が号泣。
思わずもらい泣きしました。
母親は、10年ほど前に52歳の若さで、ガンでなくなりました。

生まれて初めて親に対する感謝の気持ちを述べたのではないでしょうか。
同じ父親として、「私の娘ははたして言ってくれるだろうか・・・」なんて思いつつ、「心から幸せを祈りました。

 私の娘もわざわざ有給休暇までとって東京から駆けつけました。
 久しぶりに家族がそろいましたが、あっという間に楽しい時間は終わりました。

話すことはなくても「側に居る」というだけで安心感を感じ、私たち夫婦にとっても楽しい週末でした。

そして、帰った後はさびしいものです。
私も娘の結婚式では号泣するのでしょう。

なんせ、バカ親ですから・・・。

思い付きで無駄な時間を過ごす

≪人を想う≫

最近、怒ったり悲しんだりすることがめっきりなくなりましたね。
楽しいと喜んだり感動することも少なくなりました。
これが歳をとるということですかね。

思い付きで無駄な時間を過ごす

昔と同じように、身の回りでいろいろな出来事が起こっているはずなのですが、感度が鈍くなったと言いますか、経験豊富になったからなのか、心の中ですぐに問題解決してしまうので、あまり悩むということもなくなりました。
 
 自分の心の内部ですぐに合理的に理解してしまい、どうすればよいかなどをすぐに判断してしまうので、逆にそれが弊害となっているのかもしれません。

「最近は家電のチラシを見なくなったね」と妻が言いました。

以、炊飯器を買いなおしたいと思って、いろいろな家電量販店を回ったり、チラシを眺めていたのですが、先日新しい炊飯器を買ったものですから、チラシに目がいかなくなってしまったというのです。

「なにを買おうか、あれこれ迷っていたころが楽しかったね」と言いました。

あれこれ迷っていた時の頃をよく思い出すというのも、ある意味濃い時間を過ごしていたということで、楽しかったからだと思います。
何でもすぐに手に入るとその喜びも半減するもので、今では炊飯器のことを全く考えません。
 望みはかなうと、あっという間にありがたさを忘れてしまいます。

人生も同じで、バカなことばかりしていたり失敗ばかり繰り返していたころの思い出は、苦しいことばかりでしたが、懐かしくもありそれなりに楽しかったのだと思います。

合理的思考とか損得を考えるとか、策略を考えるとか、こういうことは楽しくないし緊張するし、したくない。
仕事ってそんなことばかりを考えています。

無駄だとわかっていること、ばかばかしいこと、何の役にも立たないことをするのが楽しいということがわかりました。

最近、ばかばかしいことをしていないということに気づきました。

合理的な理由付けをしたり、有意義な時間を過ごすことを考えずに、単なる思い付きで無駄な時間を過ごす。

それは楽しいかもしれませんね。

考えるだけで楽しくて

≪人を想う≫

気がつくといつの間にか季節が春に変わっています。
桜も咲き始めました。
毎年、同じように季節が巡ってきますが、確実に歳をとり体が動かなくなってきています。
自分の顔を見つめてため息をつくことも多くなりました。

考えるだけで楽しくて

年度が変わるので、これまでしてきた部外講師の仕事も若い社員に引き継ぎ、私は引退と言うことになります。
会社としてのノウハウの蓄積と言う意味もあります。
疲れたというか、飽きたということなのかな。

若いころ苦しんで身につけた技術ですが、講師として教えているとその頃の苦しさを思い出し、ストレスを感じていまして、やっとこのストレスから逃れることができるので、ほっとしています。
6年間ほど続けました。

新たな仕事に取り組むべき時期がおとづれたということで、人生が終わるまでにもう一度、別の花を咲かせないといけませんね。

このまま朽ち果てるのは悔しい思いが残っていまして、若いころできなかったことにチャレンジするつもりです。
それだけの余裕がやっとできました。

「それは何かって?」
今は恥ずかしいので、言えません。
妻にも秘密です。
出来たら自慢してのブログに書きたいと思っています。

いずれにせよ、始まった仕事はいつかは終わります。
今回の仕事に関してはももう十分だと思っています。
そして次のステージに進むことになります。

人知れず秘密のうちに少しづつ準備をしていまして、その時は至福の時間です。
すこしずつ確実に、あれこれと準備を重ね、時期が来たら思い切って行動する。

そんなことを考えているだけで楽しくなります。

若いころは、もっと儲けたいと欲ばかりが先走り、目先の仕事に追われ苦しいことを我慢し続ける生活でした。
今は、考えるだけで楽しくてドキドキしています。

力こそ正義

≪人を想う≫

久しぶりに時事問題について述べます。
以前から孫子の兵法を勉強していたからか、現実社会は倫理とか正義という概念で動いていないと思っています。

力こそ正義

利害、弱肉強食が自然の法則だと思っています。
ロシアは帝国から社会主義国になり、民主主義の経験のない国です。
民主的な倫理観は通用しません。
利害こそ唯一の価値感です。

ロシアのクルミア編入は、世界の常識からすると明らかな侵略なのですが、ロシアの論理からすると、元々ロシアの領土だったという考え方、なるほどなと思いますね。
チャンスを狙っていたということです。
ウクライナ国内の混乱を意図的に創りだし、準備を整えて仕掛ける。

領土と言う概念、何年前までさかのぼるのか、国家と言う概念の怖さを想います。

日本も満州国を創りましたね。
戦前の帝国主義時代では常識的な行動でした。

日本は島国ですから、あまり感じないのかもしれませんが、領土の取り合いと言うのは、昔からの紛争の種でした。
 結局、力のあるものが侵略して拡大していくという論理が、正しいのかもしれません。

北方領土も、平和的に返還されることって絶対に不可能だというのがわかります。
お金を払って買い取るか、戦争で奪い取るかしかないと思っています。

鳩ポッボさんは、ロシア大好きなのでしょうね。
合法的に編入されたという論理は、良く言えるなと感心します。
喜んでロシアに利用されています。

同じようなことを中国は南沙諸島で行っています。
これも合法的?に島を埋め立てて飛行場を建設中です。
実効支配こそ、根拠になります。

「力こそ正義である」という過去の歴史の現実を知っている者の当然の行いでして、言葉だけで正義とかいう人がいかにおめでたいかということです。

とかくこの世は

 ≪人を想う≫

 自分のテンションは抑え気味で、意識して静かにしているという程度が最も生活しやすいもので、自分らしく自由気ままにふるまっているとあちこちに迷惑をかけたり批判されることも多くなる。
 「どこが悪いか」と反発する気持ちもあるが、言い放つほどの勇気もない。

とかくこの世は

 他人は自分の思い通りに動かないことが当たり前であり、それが普通だと思っているけれども、その人を思い通りに動かしたくなる。
 それがその人にとって良いことだと思っているが、その人にとってはありがた迷惑だったりする。
 感謝されているはずなのに・・・。

「とかくこの世は難しい」

昔はおせっかいな性格でしたが、今はじっと我慢して微笑むだけにしています。
気がつくかつかないか本人次第と思い、関わらないようにしています。
そんな自分がさびしくもあり、歳をとったせいでズルくなっただけなのかもしれません。

必死に頑張っている姿を見られることが恥ずかしくて、顔だけは平然として何もしていないように見せる。 努力は陰でするものであり、人に見せるものではない。

カッコいい言葉だけれど、実は日々ダラダラと生活しているだけで、最近は仕事に取り組む姿勢も余裕がありすぎるみたいで、何をしているのか・・・。

いまだに自分の進むべき道についてよく解らないまま、生活しているようです。

他人とかかわって他人を指導するような仕事をしていますが、人を指導するってこんなに難しいことはありません。

 その人の人間性や特徴を理解し、想いを理解し寄り添うように指導する。
言われていることは分かるのですが、どうしても好き嫌いが先に出てきたり、関わりたくないというわがままが出てきたり、良く思われたいという欲が出てきたり、後でいつも落ち込んでいまして、正直、仕事が怖くてたまりません。

怖いからこそ、準備を十分にして仕事に取り組んでいるつもりですが、毎回まだまだ未熟だと反省しています。

今日の話、漠然としていて何を言いたいのやらよく解りませんね。
はっきりした悩みではなく、漠然とした悩みなもので、自分の心もよく解りません。

春も近まり、心の中もかすんでいるようです。

神様に誓ったこと

≪人を想う≫

今日は姪っ子の結婚式、娘も東京から帰省し朝から一日大変ですが、おめでたい日、楽しみたいなと思います。
人生の最大の転換期といいますか節目というのが、結婚式と子供の誕生でしょうね。
30年ほど前の自分の結婚式のことを思い出しました。

神様に誓ったこと

神前で「私が死ぬまでこの人を守る」と誓いました。
神様に誓ったことですから、どんなことがあっても絶対に護らなければならないと覚悟しました。

出会いというのは不思議なものです。
それ以前とそれ以後の生活が全く違ったものになってしまうのですから・・・。

気がつけば、一人で生きてきた時間よりも二人で生きてきた時間の方が長くなっています。
まったく別の人生を送ってきた他人が同じ時間を過ごし同じ人生を歩んでいく。
不思議な気がします。

 そして子供が生まれ、家族ができる。
人生最大の喜びを感じ、子育てという素晴らしい時間を過ごす。
そりゃ、いろいろと苦労もありますし大変でしたが、あっという間に時は過ぎました。
家族で生活するという幸せを味わいました。
仕事がうまくいかず苦労していたころも、子供の笑顔に救われました。
家族がいなければ、あの頃の苦しさを乗り越えることはできなかったでしょう。

その子供も巣立ち、また二人の生活に戻りました。

 妻が居るのが当たり前の生活、あと何年続けることができるのでしょうか。
 短くなってきたことは確かです。

 白髪が増えてきた自分の顔と妻の顔、体のあちこちがガタガタになり、薬と共に過ごす生活。
「ありがたいな」と思います。

今の希望は、早くおじいちゃんと呼ばれたいということでしょうか。
妻を残して先に死ぬことは後が心配ですから、できれば妻よりも一日も長く生きていたいと思っています。
 妻を看取ってから死にたいと思っています。

私が妻の人生を支えてきました。
そして妻が私の人生を支えてくれました。

その感謝の気持ちもありますから、看取ってから死にたい。

これが結婚式の時、神様に誓ったことです。
その気持ちは今でも変りません。

何度も書いていたかも

≪人を想う≫

日々の出来事に関する感想をブログに書き続けていると、依然と同じようなことばかり書いてしまうようです。
 書いている本人は初めて書いているつもりでも、妻に言わせると「その話、何十万回も聞いた」と言うことになりそうです。 
 今日の内容も、何度も書いていたかも・・・。

何度も書いていたかも

NHK大河ドラマの吉田松陰が「君の志は何かね」と問うシーンがあります。
「志を持て」というメッセージが、明治という時代を創り上げたということなのでしょう。

志を持てる人間は、一部のエリートなのでしょうか。
私のような凡人は、若いころからいつも迷っているばかりで、志を持つどころが、時代の流れに流されて、あちこちただよって生きてきたものです。

自分の出世や金銭欲のために働いていた若いころ。
「志」を自分の欲と勘違いしていました。

挫折し、生きるため、生活するために与えられた仕事を誠意をもって働いていたら、いつの間にか今の自分になっていた。
自分の力と言うよりは、何とか流れのままに生きてきた結果、今の自分がいます。

そしてやっと、志というほど立派なものではないのですが、「人の役に立つ仕事がしたい」という欲求が強くなってきたのですが、果たして何を成すべきかいまだに迷っているという始末。
そして、このまま死んでいくのでしょうか。

今の自分にできることは何か、アンテナを立てているつもりですが、よく考えてみると若いころから同じようなことばかりを考えていたような気がします。

そして、考えているということを言い訳にして、一つも行動しないものですから、何も変わらない。
口先だけの人間だったように思います。

自分の実力で成しえた仕事はあったのだろうか。
失敗の連続であったことだけは覚えていますが、「成し遂げた」成功体験はまだないような気がします。

ふと考えました。
人の力を借りて、何とか生きて来れただけの人間であり、自分が人のために何かを成すような立派な仕事を成し遂げることが、今後の私の「志」ということにしたいと思います。

人を育てる。
会社を成長させる。

性格を演じてしまう

 ≪人を想う≫

せっかくブログを公開しているのですから、読んでいただいてちょっと面白いと思ってもらえるような内容がいいですね。
ということで、今日の話題は、?です。
心理学を学ぶと、自分の性格を演じることができるという話です。

性格を演じてしまう

他人と相対して会話をすると、誰でもその人の性格が何となくわかります。
私の場合は特に、交流分析のエゴグラムについての知識があるので、自然と相手の性格を分析してしまう傾向があり、ちょっと困ってしまうこともあります。

≪交流分析については、過去記事をご参照ください。≫

 解りやすいのです。
顔の表情や話し方で、CP(批判的な親)が高いとかNP (親しげな親)が高いとか、A(l理性的な大人)が高いので頭がいい人だとか、すぐに判断してしまう傾向があり、ほとんど間違ったことがありません。

仕事柄、精神的に多少問題のある方と接する機会がありますが、相手の性格に合わせて、優しい母親のような態度と言葉、NP全開で会話をしたら、なにを想われたか異常に親しみを感じられたようで、親しげにすり寄ってくるような態度。

 多少、危機感を感じながら対応したことがあります。
本来の自分は、他人の話を聞かない身勝手でわがままな人間です。

 また、逆に私の何気ない一言が気に入らずに、私の批判を他人に告げ口するような人もいました。
 うかつにも、調子に乗ってFC(自由な子供)で話していたために、AC(順応した子供)から反感を買ったのでした。
 被害者意識が高く自尊感情が持てない人は、明るくて楽しげな人が許せないのです。
私の話が、傲慢に聞こえたのでしょう。

私は、自然なコミュニケーションに自信がないものですから、日常の生活の中でその人に合わせた会話をしてしまい、自分を演じてしまう傾向があります。
相手に自分の性格を素直に出せばいいのですが、役者のように演じることができるもので、ついつい遊んでしまうというか、演じてしまうのです。

 普段はそんなことも気にせず、地のままに生活していますが、講師として人前に立つとき、意識して役者を演じることがあります。

 すると不思議ですが、それが自分の性格かのように振る舞って、後で素の自分に戻るのに時間がかかってしまったりします。

 同僚のK女史とかは、同じく交流分析を学んでいるものですから、「またまたわざとACを使ったな」と突っ込まれたりします。

 他人に自分の正確を見抜かれるということは、嫌なものですね。

 へたに心理学を勉強したばっかりに・・・。